お坊さん歴20年以上の未熟僧(みじゅくそう)と申します。
- お経って一体何なの?
- お坊さんは、何のためにお経を読んでいるの?
- 故人を供養をするにはお経が必要なの?
お坊さんが何やら意味のわからない言葉をひたすら声に出し続けているもの、それは『お経』。
お経は、お葬式や法事などの【法要】の時に読まれます。
でも、お経を聞いたところで多くの人はきっと、
って思うはず。
お坊さんは日頃からお経を読んでいて、その意味も当然わかっています。
一方、お坊さん以外でお経のことをちゃんと知っている人はとても少ないです。
ほとんどの人には、お経が『呪文』のように聞こえていることでしょう。
じつは、お経というのは、
『お経を読む人』と『お経を聞く人』の両者ともに幸福を得ることができる、非常にありがたいもの
なんです。
この記事では、お坊さん歴20年以上の僕が、
- お経そのものの意味
- お経の効果
- 供養をする時にお経を読む理由と目的
ついて詳しく解説しています。
この記事を読めば、単なる『呪文』に聞こえていたお経が『幸福をもたらす言葉』に聞こえるようになりますよ。
お経にはどんな意味があるの?

あなたもご存じのように、お経は、
- お葬式
- 回忌法要(=法事)
- その他の法要
の時にお坊さんが読んでいます。
でも、お経を聞いたところで【何を言っていて】それが【どのような意味なのか】なんて分かりませんよね?
お経というものは、
お釈迦様が説いた多くの教えを、後で弟子たちがまとめたもの
です。
お釈迦様は、悟りを開いた後に、いろんな場所へ出向いては【悟りで得た真実】を多くの人々に伝え続けました。
しかも、人によって伝える方法を変えて、誰でも理解できるように工夫をしてくれたんですよ。
ちなみに、人によって教え(=法)の伝え方を変えることを、
対機説法(たいきせっぽう)
といいます。
これをお釈迦様はひたすら続けてくれたんです、そりゃもうメチャクチャ頑張って伝え続けてくれましたよ。
晴れの日も、雨の日も、嵐の日も、休むことなく教えを伝え続けたんですよ、たぶんね。
そんなお釈迦様の努力のおかげで、膨大な数の教えが後に残されました。
ただですね、あまりに教えの数が多すぎて、
みたいに、【教えの解釈】でモメたんですよ。
そこで、お釈迦様の弟子たちが定期的に集まって、
というカンジで、数多くの教えの内容を少しずつまとめていったわけです。
まとめられた教えが内容ごとに分類されて、それぞれに『◯◯経』という形で伝わっていったんですね。
まぁ、じつは、お釈迦様が入滅された(亡くなった)後からも、たくさんお経が作られたんですけどね。
ちなみに、そのような《ずっと後から作られたお経》のことを『偽経(ぎきょう)』といいますが、詳細については割愛します。
では、お経にはどんなことが書かれているのでしょうか。
もちろん、お経によって内容はまったく違います。
しかし、そこをあえてザックリ言うと、お経とは、
- あらゆる物事の本当の姿(=真理)を教えてくれるもの
- いろんな仏様の持つ力(=能力)の素晴らしさを教えてくれるもの
- いろんな仏様がもたらす利益のありがたさを教えてくれるもの
- いろんな仏様を褒め称え、感謝をお伝えするもの
というカンジの理解でOKです。
つまり、お経の内容は、
コレって本当は◯◯っていうことやねんで!
それに、仏様たちってスゴイんやで!
こんなチカラがあるし、こんなご利益まであんねん!
ホンマにありがとうございます!
ということが書かれているものなんですよ。
いろんなお経でいろんなことが書かれていますが、いずれにせよ、お経というものは、【私たちが幸福になるため】の教えがたくさん詰まった非常にありがたいものです。
読んでもよし、聞いてもよし
あなたは『経本』を見たことがありますか?
経本とは、お経が書いてある本(冊子)のことです。
この記事の最初にある画像を見てもらえればわかるように、経本の多くは漢字がズラーっと並んでいるんですよ。
そして、基本的にフリガナなんて書いてませんので、まず読み方がわからないんですよね。
僕も、お坊さんになりたての頃は、経本を見たところでまったく読めませんでした。
だから、お坊さんとしての第一歩は、まずこの経本の【フリガナをふる】ことから始まるんです。
そして、最初はつまずきながら苦労して読んでいたお経も、半年経てばスラスラ読めるようになります。
さらに、もう半年経てば経本を見なくてもお経をお唱えできるようになっちゃいますね。
もしも「お経を読めるように練習してみようかな?」と思ったら、ぜひ挑戦してください。
コツは、お経を読めなくても焦らないこと、です。
少しずつでいいんです、ゆっくりでかまいませんから、できるだけ【正確に】読むように心がけてください。
お経は、
経本の中にある言葉を実際に口に出して読むことで、いろんな仏様からご利益がいただける
んですよ。
そう、つまり【お経を読んだ本人】がご利益を得られるんです。
亡くなった人を供養する時は、お経を読むことで得られたご利益を故人にも同時に回し向けているんです。
つまり、お経を読んで故人を供養することで、【お経を読む人】と【故人】の両者がご利益を頂くことができるのです。
お経って、けっこうスゴいものだと思いませんか?
でもね、まだスゴいことがあるんですよ。
お経を読む人や故人にはご利益があっても、それ以外の人たち、つまり『お経が読めなくて聞いているだけの他の人たち』はどうなるの?って疑問に思う人もいるでしょう。
お経のスゴいのは、
【聞いているだけ】でも同じ効果がある
というところです。
お経を誰かが口に出して読むことで、それが他の人にも『読経の声』として聞こえます。
これはつまり、お経のご利益が『読経の声』に乗って、それを聞く人に届いているのです。
だから、自分でお経を読まなくても、誰かが読んだお経を聞くだけで、同じ効果が得られてしまうのです。
このように、お経って、
読んでもよし、聞いてもよし
なので、とってもありがたいものなんですよね。
お経の内容の意味はわからなくてもいい?
僕は以前、お坊さん達を対象とした講義の中で、大先輩から聞いた言葉で衝撃を受けたことがあります。
大先輩:「それでは、何かわからないことはありますか?」
僕:「1つだけよろしいですか?」
大先輩:「あぁ、どうぞ。」
僕:「お経の中に書いてある内容が難しくてあまり理解できないんですが、それでもお経を読んでいて意味がありますか?」
大先輩:「うん、意味はあるよ。お経っていうのはね、内容がわからなくても【読むこと】自体が重要なんだよね。とにかく、お経の中に書いてあることを正確に読むことで仏様のお力やご利益がいただけるんだよ。昔の現地の言葉をそのまま音写している部分なんかは特にそうだね。」
僕:「あぁそうだったんですか、わかりました、ありがとうございます。(えぇっ?ホンマに!?内容がわからんのに、それでも意味あんの?)」
こんなカンジでした。
お経はずっと昔から、それこそ仏教が始まった約2,500年前から受け継がれてきたもので、その間多くの人々の心の支えになってきました。
その中には、
みたいな人だっていたはず。
もしもお経をの内容がわかっていないとダメなら、たぶんお経なんてとっくに無くなっていたと思うんですよ。
だって、お経の内容なんてメチャクチャ難しいから、僕も含めて普通の人には理解するのは無理ですよ。
あれをちゃんと全部理解できるなんて、ほんの一部の人だけ。
それでも、お経というものが無くなることはなく、今までずっと受け継がれてきました。
きっとみんな、読むだけでちゃんと利益があると実感していたんでしょうね。
供養をする時にお経を読む理由

お経が誰にとってもご利益があって、とてもありがたいものであることは先ほどお伝えしました。
そのありがたいお経は、主に、お葬式や法事など【故人の供養】をする時に読まれます。
では、なぜ【故人の供養】の時にお経を読むのでしょうか?
まず、基本的なこととして、お経を読む目的は、
- 世の中の真理を伝える
- さまざまな仏様を褒め称える
- 仏様へ日頃の感謝をお伝えする
- 読経による功徳やご利益を、亡き人やその場にいる人たち全員へ回し向ける
ためです。
これらのために、故人を供養をする時にもお経を読みます。
しかし、お経を読むことには、もう少し違う目的というか理由があるんですよね。
仏様に故人を託して、なおかつ私たちも『ご利益』を頂く
供養をする時にお経を読む理由の1つが、
仏様に故人を託して、なおかつ私たちも『ご利益』を頂くため
です。
私たちは、あの世で故人が安らかに過ごせるように祈ることはできますが、故人を直接導くことはできません。
それができるのは仏様だけ。
だから、仏様をホメまくる内容のお経を読んで、
「仏様のおっしゃった事・お力・ご利益は本当に素晴らしく、とてもありがたく思っています。つきましては、故人を良き道へとお導きください。」
と、故人を仏様に託しているんです。
それと同時に、
「仏様、その素晴らしいお力やご利益を、故人のみならず、ここにいる全員にも授けてください。」
とお願いをしているんです。
仏様はとても【太っ腹】です、私たちのそのような願いをちゃんと聞き入れてくださいます。
だから、先ほども言いましたように、お経を読むと、故人やお経を読む人だけでなく、それを聞いている人にもご利益が注がれているわけです。
じつは『パフォーマンス』のため
お葬式に関して多くの人が勘違していることがあります。
それは、
亡くなった人の前で、お坊さんが『お経を読むこと』がお葬式である
という勘違いです。
このように勘違いするのは、お葬式のとても大事な部分を知らないことが原因です。
お葬式というのは、
- 故人に【仏弟子】となってもらい、仏の道へ導き入れる
- いろんな仏様に故人を託す
ための『儀式』です。
お葬式の別の言い方は『葬儀』ですよね。
葬儀とは【死者を葬る】ための【儀式】です。
それで、この【葬儀】において重要なのは、
故人へ引導を渡すための【作法】をすること
であって、
お経を読むことではありません。
つまり、お葬式(=葬儀)では【引導の作法】をちゃんとしていれば、本来はお経なんか無くてもいいんです。
しかし、ほとんどの人はこのことを知りません。
まぁ、これは僕たちお坊さんが『お葬式の意味』をちゃんと説明してこなかったのが悪いんですよね。
お葬式に関することは、話し出すととても長くなってしまうので、詳しくは『お葬式をする意味とは何?お葬式でお坊さんがしていることを具体的に解説!』の記事を読んでみてください。
じゃあ、なぜお葬式でお経を読んでいるのかというと、じつは、お葬式で読むお経は、
『パフォーマンス』
の要素が強いのです。
こんなことを言っちゃうと、いろんな人に怒られるかもしれませんが、お葬式のお経なんて絶対に『パフォーマンス』の要素が強いはずなんですよ。
だって、お葬式で最重要の【葬儀=儀式】の部分なんて10分もあれば終わっちゃうんだから。
つまり、本来であればお葬式で必要な所要時間は【10分】程度なんですよね。
しかし、お葬式では多くの参列者がお焼香をするので、10分程度じゃ時間が足りないんですよね。
そこで、お坊さん達はどうやって時間を延ばしたらいいのか考えてみました。
考えてみた結果、
- お経を読めばいい。だって故人も含めてその場の全員にご利益があるんだから。
ということになったんです。
お葬式の厳粛性を保ち、時間調整をしつつ、なおかつそれが有意義なものでなければならないことを考えたら、お経を読むというのがベストの選択ということです。
だから、お葬式でお経を読むことは【メイン】ではなく、あくまで【サブ】であり、あまり重要なことではないのです。
ただ、実際のところ、お経を読んでいる【サブ】の時間の方が長くなってしまうので、いつの間にか『お葬式はお経を読むためのもの』という勘違いが発生してしまったのです。
リラックス効果がある
あなたは、法要の時に【眠くなった】ということはないですか?
決して故人の供養を軽く考えているわけではないのに、自然と意識が遠のいていく、みたいなカンジです。
お葬式ではあまりいないですが、法事の時は明らかに【眠たそうにしている人】ってたくさんいますよ。
でもね、それは仕方ないこと。
なぜなら、
お経には『リラックス効果』がある
からです。
あっ、これは僕のお坊さん歴20年以上の経験から、そう感じただけなんですけどね。
いやいや、違うんですって。
リラックス効果はありますってば。
僕は、
聞いていて眠くなるお経は【良いお経】である証拠
だと思ってますよ。
眠くなるってことは、聞いている人の気持ちが【リラックスして安心した状態】になっているからですよね?
もしも、お坊さんのお経が下手クソだったら【耳障り】で眠くなんてならないはず。
お経の声量や音程がしっかりと安定しているからこそ、聞いている人はリラックス状態になるんです。
そう、ということは、僕はお経が上手いんです♪
まぁ、冗談はさておき、眠くはならなかったとしても、「お経を聞いてると何だか安心する。」みたいなことってありませんか?
お経を聞いている人がリラックスして安心するという効果も、お経のご利益の一つなんじゃないでしょうか?
まとめ:お経は、読んでも聞いても【みんなが幸福になって得をする】というスゴイもの!
お経は、お釈迦様やいろんな仏様の教えが書き留められた、とてもありがたいものです。
お経は数えきれないほどたくさんありますが、どのお経も【私たちを幸福へと導いてくれるもの】です。
お経を読んで、さまざまな仏様をホメまくり、感謝をし、その功徳とご利益を頂いているのです。
そして、お経は、『読む』ことはもちろん『聞く』だけでも同じ効果があるんです。
特定の人だけではなく、それを読む人や聞く人、もちろん故人にも、その場にいる全員に対してお経の効果がもたらされます。
しかも、その意味がわからなくても大丈夫だなんて、こんなにありがたいことはありませんよ。
すごいですよね、お経のおかげでみんなが幸福になって得をするんですから。
だから、ぼく達お坊さんはお葬式や回忌法要でお経を読みます。
それは、故人だけではなく参列者にも幸福になってほしいから。
だから、お坊さんのお経を聞いて「退屈だぁ」とか「早く終わんないかなぁ」なんて言わないでくださいね♪
