お坊さん歴20年以上の未熟僧と申します。
- お墓に花を供える意味って何なの?
- お墓には花を供えなきゃいけないの?
- お墓に【造花】を供えちゃダメなのかな?
お墓参りをしたときに、以前に供えた花が枯れて悪臭を放っていたことはないですか?
悪臭に耐えながら花筒を洗い、新しい花を供え、次のお墓参りでまた同じことの繰り返し。
それで、
と思いながらも、そんなことをして大丈夫なのか迷ってしまい、結局いつものように生花を供えているあなた。
結論を言いますと、お墓には生花を供えるのが望ましいですが、事情があれば造花を供えても大丈夫です。
この記事では、
- 毎回大変な思いをしてまでお墓に花を供えている理由
- お墓に【造花】を供えるかどうかの判断の基準
について詳しく解説しています。
造花はとても便利ですが、ちゃんと【お墓に花を供える理由】を知った上で使用してくださいね。
お墓に花を供える理由
あなたに1つ質問です。
「なぜお墓に花を供えているのですか?」
この問いに答えられる人はとても少ないですが、せっかくですから『お墓に花を供える理由』を知った上でお墓参りをしましょう。
とはいえ、じつはお墓に花を供える理由にはいくつかの説があるんですよね。
例えば、
- あの世はキレイな花がたくさんあるので、お墓をそれに近づけたいから。
- 花は、あの世にいるご先祖様や亡き家族が着ている衣服に相当するものだから。
- 花を供えることは、お参りをする人が『私は辛抱強く耐えます』という決意の表明をすることだから。
などがあり、宗派や地域によってはこれら以外の理由もあります。
また、理由を知っておきましょうなんて言っておいて申し訳ないのですが、仏教には【唯一の正解】というのがあまりないんですよね。
ただ、唯一の正解はなくても、最もふさわしいのは【花を供えることは、お参りをする人が『私は辛抱強く耐えます』という決意の表明をすることだから】という理由だと思います。
なぜなら、この理由は仏教の『忍辱(にんにく)』という教えに沿っているからです。
『忍辱』とは、
感情のままに行動せず、辛抱強く耐え続けて、物事を正確に見ること。
をいいます。
花は厳しい自然の中で雨風に打たれながらも、それに負けることなく耐え続け、やがてキレイな花を咲かせますよね。
このことから、花は『忍辱=辛抱強く耐え続けること』を象徴するものとして扱われています。
つまり、お墓に花を供えることで、ご先祖様や亡き家族に対して「わたしは、感情的にはならず、ちゃんと辛抱して、真実を見極める努力をします。」と決意表明しているんです。
なので、お墓参りで花を供えるのは自分自身の修行をするためでもあるわけです。
ちなみに、花だけに限らず、お墓参りをすること自体に【仏道修行】の意味がありますので、詳しく知りたい方は別記事の『お墓参りの時にお供えする『5つの供物=五供(ごく)』の意味。】を読んでみてください。
お墓に造花を供えるのはダメ?
お墓に花を供える理由はお分かりいただけたと思います。
問題は、その花が【造花】だとダメなのかどうかです。
造花はダメ?造花のメリットとデメリットで判断しよう
お墓参りは、そんなに頻繁には行けないですよね?
でも、たまにしか行けないとしたら、供えた花が腐って嫌なニオイを発していても、それを放っておくしかありません。
すると、腐ることがなく嫌なニオイも出ない【造花】を供えておけばいいという発想になりますが、それだと何となくお墓参りをサボっているみたいで少し抵抗があることでしょう。
安心してください、お墓に供えるお花は【造花】でも大丈夫ですよ。
先ほども言いましたように、お墓に花を供えるのは【お参りをする人の修行】でもあります。
なので、供える花が【生花】でも【造花】でも、それはお参りをする人が決めればいいことなんです。
あなたが【造花】にしたいと思ったのなら、造花を供えて問題はありません。
造花のメリット
あなたがお墓に【造花】を供えたくなる気持ちはよく分かります。
造花には、
- 花が枯れない(常にキレイな花でいられる)
- 花が腐らないから嫌なニオイがしない
- 虫が寄りつかない
- 花筒が汚れない
- 生花を毎回買うより安くてすむ
- 毎回どんな花を買おうか考えなくてもいい
といった魅力的なメリットがありますよね。
造花だったら、お墓参りのたびに花を購入する手間とお金が省けて、しかも、ずっとキレイな状態を保てます。
なので、事情があって頻繁にお墓参りができない人には造花を使用してください。
でも、なかなかお墓参りができないのなら、せめて造花にはしっかりとお金をかけませんか?
造花はあまり【みすぼらしい】ものは買わず、最低でも【3,000円~5,000円(税込)】程度のものを購入してくださいね。
また、造花をそのまま花筒の中に入れると、花筒と造花の間に《すき間》があるため造花がうまく直立できません。
造花を供えるときは、花筒の直径のサイズを測って、そのサイズに合った【造花の固定具】を花筒の中に入れるといいですよ。
造花のデメリット
造花を供えることのメリットがあれば、当然ながらデメリットもあります。
お墓に造花を供えるデメリットは、
- 他人に『お墓参りをサボっている』と思われる
- 親戚からクレームが来る可能性がある
- どこかで『後ろめたさ』を感じる
などです。
やむを得ない事情があってお墓参りになかなか行けない場合などは【造花】を供えておきたくなることでしょう。
しかし、その事情を知らない人から見れば、
と思うかもしれません。
それがまったくの他人であればいいのですが、親戚などにも同じような印象を与える可能性が十分にあります。
そのせいで、仕方なく造花を供えている人も、どこかで『後ろめたさ』を感じてしまいます。
このように、いくつかあるデメリットを許容できるのであれば造花を供えて問題ありません。
本当は生花が望ましい
ここで、20年以上お坊さんをしている僕の本音を書きます。
人それぞれに事情があるので、造花を供えることはダメではありません。
でも、お坊さんの僕の本音としては、お墓に供えるお花は本当は【生花】が望ましいです。
その理由の一つは、本物の生花を供えることで『より強い決意の表明』になるからです。
生花を供えることは、厳しい自然の中で育った『本物の命』をお墓に供えているということ。
本物の命なので、いつかは枯れて、放っておくと悪臭を発して花筒を洗うのも大変です。
でも、それを承知で生花を供えて【私は辛抱強く耐えます】という強い決意の表明をするわけです。
お墓参りは仏道修行の一つなので、お坊さんとしては本物の生花を供えた方がより良い修行になっている、と思ってしまいます。
そして、生花が望ましい理由がもう一つあります。
これは、完全にお坊さん(お寺)側の都合です。
生花を供えてくれると、お墓参り(=お寺)に来てもらえる回数が増えるので、お坊さん(お寺)としてはありがたいんですよね。
はい、仏教的な意味なんてまったくありません、ごめんなさい。
寺としては、できるだけ多くの人に何度もお墓に来てもらって、寺に愛着を感じてほしいんです。
あなたは、お墓参りで供えた生花がその後どうなったか気になりませんか?
信者さんの中には、供えたお花が枯れて汚くなってしまうのが嫌なので定期的にお墓参りに行くという人もいるんですよね。
だから、生花を供えてくれた方が、その後もお花のことを気にして、またお参りに来てくれるんじゃないかなって、淡い期待をしていたりします。
一方で、最悪なのは《生花を供えたけど、その後ぜんぜんお墓参りに来ない》というパターンです。
お花は【生花】が望ましいですが、その後ぜんぜんお墓参りに来ないのなら、いっそのこと【造花】を供えてくれた方がマシですね。
【関連記事】:誰かに抜かれた?お墓に供えたお花が無くなる原因
造花はご先祖様に対して失礼なの?
本来のお墓参りでは生花を供えるものです。
だから、それができないと『ご先祖様に対して失礼なのではないか』と心配になりますよね。
でも心配はいりませんよ、ご先祖様はすべて分かっておられますから。
あなたがやむを得ない事情で造花を供えているのか、あるいは単なるサボりで供えているのか、そんなことくらいはすべてご存じです。
ご先祖様はあなたの気持ちをちゃんとわかってくれますから、事情があるなら造花でも失礼にはなりません。
なので、安心して造花を供えてください。
まとめ:お墓に供える花は【造花】でも大丈夫。でも、本当は【生花】が望ましい。
お墓に供える花は造花でもかまいません。
でも、本当は生花を供えることが望ましいです。
花は仏教の『忍辱(辛抱強く耐える)』という教えを象徴するもので、ご先祖様や亡きご家族に対して『私は、目的を達成するために辛抱強く耐えます』という決意を表明します。
ですから、花を供えることは、仏様のためだけではなく【あなた自身の修行】という意味もあります。
そのため、本物の花を供える方が、より強い決意の表明となるのです。
でも、やむを得ない事情があってお墓参りに行けない場合、ずーっとお花が無いくらいなら【造花】でもいいからお花があった方がいいと思います。
お墓に花を供える意味を踏まえた上で、生花にするのか、造花にするのかを決めましょう。