お坊さん

お坊さんは肉を食べてます!お坊さんなのに、なぜ肉を食べるのか。

お坊さん歴20年以上の未熟僧みじゅくそうと申します。

この記事はこんな疑問に答えます
  • お坊さんは肉を食べちゃいけないんでしょ?
  • 肉を食べているお坊さんが多いけど、それってお坊さんとして失格なんじゃないの?

お坊さんは肉を食べちゃダメなんでしょ?

未熟僧
未熟僧
はい、基本的にはお坊さんが肉を食べちゃダメです。

でも、【3つの条件をクリアした肉】であればお坊さんでも食べられるんです。

法要の後に参列者みんなで食事をすることがありますよね?

例えば、

  • お通夜の後
  • お葬式の後
  • 回忌法要の後

などです。

そのような食事の席に、お坊さんのぼくもご一緒することがあるんですよね。

で、ありがたく料理を頂いていると必ず、

(あっ、お坊さんなのに肉を食べるんだ・・・。)

的な視線を感じます。

あの、たぶんあなたもとっくに気付いていると思いますが、

お坊さんは日頃から肉を食べています!

そりゃあ食べますよ、だって美味しいもん。

それに、じつは、お坊さんも【3つの条件】を満たすものであれば肉を食べることができるんですよね。

この記事を読めば、肉を食べているお坊さんの本音の部分がわかりますので、興味のある方は一度読んでみてください。

お坊さんは肉を食べないの?

あなたが『食事をしているお坊さんの姿』を見るのは、

  • 通夜振舞い(お通夜の後の食事)
  • 精進落とし(お葬式の後の食事)
  • お斎(回忌法要の後の食事)

のときでしょう。

思い出してほしいんですけど、そのときにお坊さんは普通に肉を食べていたと思います。

お坊さんって【肉を食べてはいけない立場】の人だというイメージがありませんか?

あなたはどうかわからないけど、一般的にはそう思われています。

なぜなら、多くの人が仏教には【生き物を殺してはいけない】という決まりがあることを知っているからです。

ちなみに、 【生き物を殺してはいけない】という決まりのことを、

『不殺生戒(ふせっしょうかい)』

といいます。

だから、法要後の食事に招かれて、ありがたく料理をいただいている時に視線を感じることがあるんですよ。

そう、

(この坊主め、肉を食べてやがる!)

っていう視線です。

あのね、みんな誤解をしてるんですよ。

たまに本気で『お坊さんは肉を食べていない』と思ってる人がいるんです。

しかしながら、お坊さんはみんな、

日頃から普通に肉を食べています!

そう、あなたと同じようにガッツリと肉を食べてますよ。

なんか、お坊さんのイメージをブチ壊してごめんなさいね。

でも、じつはお坊さんでもお肉を食べことができるんです。

なぜなら、

『3つの条件』を満たした肉であれば、お坊さんでも食べることが許される

からです。

これのおかげで、ぼく達お坊さんも肉を食べることができるのです。

マジで、これがあって本当に良かった!

肉を一切食べずに【ベジタリアン】の道を突き進むなんて、ぼくには絶対ムリですわ。

お坊さんなのに、なぜ肉を食べるのか

お坊さんでも肉を食べます。

【不殺生戒】を厳守すべき立場であるはずのお坊さんなのに、なぜ肉を食べるのでしょう?

ここからは、お坊さんが肉を食べる理由を、ぼくも含めた【お坊さんの本音】を織り混ぜながら書いていきますね。

『三種の浄肉』という考え方

お坊さんが平気な顔して【肉を食べている】のは、先ほどから言っているように、その肉が『3つの条件を満たした肉』だからです。

この『3つの条件を満たした肉』のことを、

『三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)』

といいます。

じゃあ、その『3つの条件(三種)』とはどのようなものか。

3つの条件とは、

の三種のことです。

はい、これじゃ全然わかんないですよね。

わかりやすく言うと、

  1. 【見】:その動物が殺されるところを見ていない
  2. 【聞】:その動物が、自分に供されるために殺されたと聞いていない
  3. 【疑】:その動物が、自分に供されるために殺されたという疑いがない(=わからない)

です。

これら3つの条件をクリアした肉だったら、お坊さんも食べてOKな【浄らかな肉】だよってことです。

例えば、

施主の自宅で回忌法要をした後に、そのまま自宅での食事に招かれて、そこに【若鳥の唐揚げ】が出た

としましょう。

そして、施主が「どうぞ、よかったら召し上がってくださいね。」と唐揚げをすすめてくれました。

この場合であれば、ぼくはありがたく唐揚げを食べることができるんです。

その理由を説明します。

まず、『唐揚げ』となっている時点で、ぼくはどんなニワトリがどのようにして殺されたのかを見ていません。

つまり、《その動物が殺されるところを見ていない》ので、1つ目の【見】の条件をクリア。

次に、施主は、ぼくに対して「よかったら召し上がってくださいね。」としか言っていません。

つまり、《その動物が、【ぼくが食べるため】に殺されたと聞いていない》ので、2つ目の【聞】の条件もクリア。

そして、出された唐揚げは、基本的には施主の家族や他の参列者に対して用意されたもので、ぼくだけのために用意されたものではないと推測できます。

だから、ぼくの分の唐揚げは、あくまで【ついで】なんです。

つまり、《その動物が、【ぼくが食べるため】に殺されたという疑いがない》ので、3つ目の【疑】の条件をクリア。

このようにして、無事に『3つの条件』をクリアしていたので、ぼくは唐揚げを美味しくいただくことができるのです。

逆に、もしも施主に、

いつもお世話になってるから、お坊さんのために我が家自慢の『若鳥の唐揚げ』を用意しましたよ♪

なんて言われたらアウト。

『お坊さんのため』と聞いてしまった時点で、【聞】と【疑】をクリアできなくなってしまうのです。

あぁ、唐揚げちゃん、せっかく会えたのに何もできずにサヨナラ・・・。

というように、せっかく作ってくれた美味しそうな『若鳥の唐揚げ』が、ちょっとした一言で【お坊さんが食べてはいけない唐揚げ】に変化してしまうんです。

ぼくは『若鳥の唐揚げ』が大好き。

施主さんが作ってくれた美味しそうな『若鳥の唐揚げ』をぜひとも食べたい。

だから、お願いします。

お坊さんに肉料理を出してくださる時は、そっと一言「よかったら召し上がってくださいね。」とだけおっしゃってください。

せっかく出してくれたものはありがたく頂くのが礼儀

お坊さんは『三種の浄肉』でないと食べてはいけません。

とはいえ、です。

せっかく施主が用意してくれた料理を、

  • 「あっ、すみません、コレは『三種の浄肉』じゃないから食べられないんです。」

なんて言うようなバカなお坊さんはいない。

振舞ってもらう料理は、施主の【布施と供養の心】であって【感謝の気持ち】の表れでもあるわけですよ。

それを拒否するなんてことは『坊主としての最低限の礼儀を欠く行為』です。

『三種の浄肉』以外の肉を食べて困るのは坊主の方であって、施主にとっては何も関係ない。

つまり、出してくださった肉料理を拒むということは、

「アンタの出した料理よりも、自分の【お坊さんとしての立場を守る】ことの方が大事なんだよね。」

と言い放っているのと同じ。

まぁ、お坊さんとして『あるべき姿』を追い求めるのは素晴らしいことですよ。

でも、お坊さんとして生きていられるのは、たくさんの人から『布施』を頂いているから。

施主が出してくれた肉料理だって完全に『布施』です。

ぼくはべつに「三種の浄肉なんてくだらねぇ。」と言ってるわけじゃありません。

大事にしなきゃいけないのは、坊主自身の気持ちじゃなくて『施主の気持ち』の方だろうが!って言いたいわけですよ。

だから、ぼくは施主に出してもらった美味しそうな肉料理は、全部ペロッと食べます。

せっかく出してくれたものはありがたく頂く、それがお坊さんとして、人としての礼儀です。

えっ、何ですか?「単純に肉を食いたいだけじゃねぇか!」ですって?

う〜ん・・・正解!

【関連記事】:お斎(法事の食事)は必ずしないといけないの?お坊さんが解説します。

お坊さんだって栄養の摂取が必要

ここまでいろいろと言ってきましたが、お坊さんが肉を食べるのは、

動物性の栄養を摂取するため

でもありますからね。

お坊さんだって人間です、そんなに植物ばっか食ってられないですよ。

だいたいね、植物にだって『命』はあると思わないですか?

一生懸命に育とうとしているトマトをね、まだ少し青い段階で無残にも収穫しちゃうんですよ?

これは【不殺生戒】に違反しねぇのかって話。

なぜ、動き回る生き物だけを特別扱いしてんの?って思いますよ。

ぼく、オカシイこと言ってますか?

これって屁理屈?

私たち人間は、動物も植物も、たくさんの『命』を食べないと生きていけないんです。

だから、肉だ野菜だと区別してないで、すべての『命』に感謝して食べなきゃダメ。

施主が振舞ってくれた料理が野菜類だけでも、そこにある『命』を心から感謝して食べます。

そこに、たまたま肉料理があれば、同じように、そこにある『命』を心から感謝して食べます。

生きていくために必要な栄養を摂取させてもらっているすべての『命』に心から感謝してます。

感謝の気持ちを持つことは、仏教において基本中の基本です。

だから、食べさせてもらえるすべての『命』に感謝して、美味しく肉料理を食べさせていただきます。

えっ、何ですか?「何だかんだ言ってるけど、やっぱり単に肉が食いてえだけじゃねぇか!」ですって?

う〜ん・・・正解!

まとめ:お坊さんも感謝の気持ちで肉を食べます。

お坊さんといえば、『肉を食べない』というイメージを持つ人は多いです。

でも、実際はお坊さんだって肉を普通に食べています

仏教では【殺生】を戒めているはずなのに、なぜお坊さんはその教えに反するようなことをしているのか?

それは、『三種の浄肉』という【3つの条件を満たす肉】であれば食べることを許されているからです。

3つの条件を満たす肉とは、

  1. 【見】:その動物が殺されるところを見ていない
  2. 【聞】:その動物が、自分に供されるために殺されたと聞いていない
  3. 【疑】:その動物が、自分に供されるために殺されたという疑いがない(=わからない)

という肉です。

ですから、できれば「あなたのために用意しました。」とは言わないでほしいのです。

それを聞いてしまったら、その瞬間に【三種の浄肉】ではなくなってしまい、せっかく出していただいたのに、お坊さんはその肉を食べることができません。

お坊さんへ肉料理を振舞う際には、「こちら、よかったら召し上がってくださいね。」とだけ言っていただけますか?

ごめんなさいね、何だかいろいろと面倒なことを言って。

とはいえ、実際のところ、どんなものでもありがたく食べさせてもらってますけどね。

せっかく施主が振舞ってくれた料理なんだから、それをありがたく頂くというのも大事なこと。

それがもしも肉だったとしても、『3つの条件を満たす肉』とみなして、感謝の気持ちで食べさせてもらっているんです。

というか、せっかく出してもらったものを食べないのは失礼ですからね。

それに、お坊さんだって人間だから、動物性の栄養素も必要。

だから、今後もしも、法要後にお坊さんへ料理を振舞う時は、「お坊さんに出すものだから肉や魚はダメだよね。」なんてことは気にしないでくださいね。

坊主のぼくが言うのも変ですが、振舞ってくださるのであれば、肉でも野菜でも何でもかまいません。

あなたが出してくださった料理を、心から感謝しながら全て頂きますから。

というわけで、また美味しいお肉、よろしくお願いしますね♪

えっ、何ですか?

そうですよ、要するに肉が食いたいんです!

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