お坊さん歴20年以上の未熟僧と申します。
- お葬式や法事の後にお坊さんが法話をしてくれない!
- お坊さんはみんな法話をするんじゃないの?
- 一部のお坊さんはどうして法話をしてくれないんだろう?
- どうすれば法話をしてもらえるの?
あなたは、法事の時に『お坊さんが法要後に話(法話)をしてくれなかった』という経験はありませんか?
その時にあなたは、
って思いましたよね?
あなたのその感覚は正常です。
法事などの法要を執り行った時、お坊さんは法話をするものなんです。
しかし、最近は法話をしないお坊さんが増えているのですが、ハッキリ言ってそんなお坊さんは【お坊さん失格】です。
この記事では、
- 法話に対するお坊さんの考え方
- お坊さんが法話をしない理由
- お坊さんに法話をしてもらう方法
について詳しく解説しています。
お坊さんが『法話』に対してどのように考えているのかを、お坊さんである僕が詳しく解説していますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
法話をする目的

法事を行う時に、お坊さんは読経の後にいろんな話をします。
お坊さんは、話の内容として、
- 仏様のおっしゃったこと
- 私たちが今ここにいられることへの感謝
- お唱えしたお経の意味
- 故人とのエピソード
など、仏教や故人に関するいろんな話をします。
このような、お坊さんによる仏教関連の話を、
法話(ほうわ)
といいます。
あるいは、『説法(せっぽう)』ということもあります。
故人を供養するにあたり、法要を行うことは大事です。
しかし、法要後のお坊さんによる法話は、正直なところ【必要】というほどのものではないのです。
というのは、お坊さんが一心にお経を読んだり作法をすることで故人やいろんな仏様を供養する、それが法要をすることの意味だからです。
でもね、それでもやっぱり、お坊さんは法話をした方がいいと思います。
なぜなら、仏教というのは『宗教』だからです。
宗教は、私たちが安心して、穏やかに、そして豊かに生きていくために『どのような教えに従い、どのような考え方をするべきか』をできるだけ多くの人に伝え広めることが目的です。
宗教ごとの教えや考え方を伝え広めることを《布教》といいます。
法話というのは、この『布教』のためにするものなのです。
つまり、ぼく達お坊さんは、法話によって布教をすることが基本的かつ重要な役目なんですよね。
なので、せっかく法事のために集まった人達がいるのですから、その時にお釈迦様を始めとする【仏様の教えの内容】を広めなければ非常に『もったいない』のです。
でも、この『もったいない』ことをしているお坊さんがとても多いのです。
そのお坊さんが【つい最近お坊さんになったばかり】というのならまだわかります。
確かに最初の頃はお経を読むだけで精一杯ですから、その後の話をするほどの余裕がないこともあります。
しかし、十分な経験があるのに法話をしないお坊さんは【やる気がないお坊さん】と言われても文句は言えません。
ということで、ぼくは法要を執り行った時には必ず法話をしています。
【法話をするお坊さん】と【法話をしないお坊さん】

ある時、いつものように法要を終えたところ、参列者の一人がぼくのところへ来て、
と言って、そのままお墓参りへ行かれました。
まさかね、【お話をしたこと】に対してお礼を言ってもらえるとは思いませんでした。
法話をしないお坊さんは意外と多い
法要後に法話をしないというお坊さんは意外と多いようです。
お経を全て読み終わると、「今日はどうもお疲れ様でした。」の一言だけで、その後は特にお話をすることもなく終了してしまうのです。
これだと、お坊さんの法話を楽しみにしていた人にとっては拍子抜けです。
それと同時に話が聞けなかったことに対する不満が出てしまいます。
一般的に、
お坊さんは法要の後に法話をするもの
というイメージを持つ人が多いです。
これは、ぼく達お坊さんにとっても同じで、大多数のお坊さんは【坊主は法話をしてナンボ】だと思っています。
でも、先ほども言ったとおり、お坊さんが法話をすることは必須ではありません。
法要をする時にお坊さんは、お経を読んで、また宗派によっては作法を施すことで故人の供養をしますが、それだけでも供養としては十分なのです。
ですから、【故人の供養】が目的なのであれば、法話をするかどうかはお坊さんの自由ということになります。
それで、『法事のときは読経と作法だけでいいのだ!』という考えのお坊さんもいるわけです。
まぁ、そりゃ確かにそうなんですけど、それだと参列者のことを全然考えてないんですよね。
参列者としては、意味のかわからないお経を聞いたところで、「あぁ、今日はお経が聞けて良かったなぁ」なんて思わないんです。
あなただって、ただお経を聞いているだけじゃ、『価値』というか『ありがたみ』というか、そういったものが感じられませんよね?
それに、せっかく法要をするんですから、故人だけでなく、わざわざ集まってくれている参列者の皆さんにも満足してもらいたいですよね?
お坊さんが仏教や仏事などいろんなことを話せば、それを聞いた人たちに「へぇ、そうだったのか、そんな意味があったのか」と思ってもらえることもあるのです。
そして、それをちゃんと覚えてくれている人も必ずいるんですよね。
そのようなことが積み重なって、故人の供養の継続に繋がっていきます。
なので、ぼくのように『話が下手くそ』でも、それでもお坊さんは頑張って法話をしている方が将来的にもプラスに働くのではないかなと思います。
読経よりも法話の時間が長いお坊さんもいる
法話をしないお坊さんがいる一方で、読経はそこそこにして、大部分の時間を法話に費やすお坊さんもいます。
これは、さきほどの『お経』や『作法』よりも、仏様の教えを皆にわかりやすく伝える『法話』の方を重要視しているケースです。
多くの霊園では、さまざまな宗派のいろんなお坊さんが来て法要をします。
その中には、法要時間の半分以上は法話をしているお坊さんもいます。
宗派の教義によるものなのでしょうか、浄土真宗のお坊さんにそのような人が多い印象です。
さすがに半分以上の時間を法話に使うのには驚きました、それと同時に「すごいなぁ」と感心しました。
まず、長時間お話をするためには、
- 豊富な知識
- 飽きさせない話術
が必要です。
知識の方は、勉強をした分だけ増えていきます。
問題は、話術の方です。
あなたは、人の話をどのくらいの時間【ただ、聞いている】ことができますか?
集中して聞いていられるのは、せいぜい5分くらいではないですか?
人間は一方的に話を聞いていることは苦手なのだそうです。
しかし、法話はお坊さんが一方的に話すスタイルが主流です。
ですから、長時間お話をするためには、
- 飽きない話題(説法の内容)選び
- 引き込む話し方
- ちょっとした笑いの要素
というものがないとダメなんですよね。
これらはぼくにとって、なかなかのハードルの高さに感じてしまいます。
でも、法話が長いお坊さんは、これらをやってのけているわけです。
本当にすごいなぁと思います。
でも、ぼくの知る限り、法話の長いお坊さんは普段から『お話し好き』な人が多いかなと思います。
そりゃそうですよね、そうでなければ法要の半分以上もの時間を話したりなんかできません。
法話の長いお坊さんですが、1つだけ困ることがあります。
それは、法要の時間がどんどん長くなることです。
ぼくがいるお寺で管理している霊園では、一回の法要に費やす時間を【30分程度】で収めていただくようにお坊さんにお願いしています。
ほとんどのお坊さんは時間内に終わらせてくださるのですが、法話の長いお坊さんは40分を超えてしまいます。
お話で一生懸命になり、予定の時間を過ぎても気がつかない、もしくは、話がまとまりきらないのです。
一生懸命に法話をしていただいて非常にありがたいことなのですが、次の法事の人たちが来てしまっているので、霊園側は大慌てとなります。
とはいえ、あくまで霊園側が勝手に『お願い』をしているだけなので、たとえ時間をオーバーしたとしても、実際にはあまり強く言えないんですよね。
あえて法話をしないケース
普段であれば、法要後に法話をするのですが、場合によっては【あえて法話をしない(またはできない)】というケースもあります。
それは、
お墓の前での法要で、ひどい悪天候である
というケースです。
法要というのは、お寺の本堂や施主の自宅といった『屋根の下』で必ず執り行うとは限りません。
お墓の前で法要をするということも頻繁にあります。
この場合、天候が悪いと大変なんです。
台風なんかが来ているとホンマに悲惨ですよ。
強風のため傘が全く役に立たず、参列者みんなの服は雨でズブ濡れになります。
もちろんぼくの大事な僧衣も同じです。
そんな中でいつものように時間を取ってまともな法話なんてできません。
法要終了の挨拶をし、ほんの数十秒の【ご挨拶程度のお話】ができればマシな方です。
ひどい悪天候の時は、法話よりも【早く参列者を解放してあげる】ことを優先する場合があります。
このように、やむを得ず法話をせずに終わらせしまうこともあるんですよね。
お坊さんが法話をしない理由

やむを得ない状況であれば法話がなくても仕方ないと思います。
でも、法話をしないお坊さんは、たぶん日頃からしていない可能性が高いでしょうね。
せっかく布教をするチャンスなのに、それをなぜ放棄してしまうのでしょうか?
人前で話をするのがとても苦手
法話をしないというお坊さんは、単純に、
人前で話をするのがとても苦手
という理由だと思います。
あなたは多くの人の前で話をしたことがありますか?
人前で話すのって、慣れないうちはメチャクチャ緊張しますし、とても恥ずかしいんですよね。
あまりの緊張と恥ずかしさで、「早くこの状況から解放されたい」という心理に陥ってしまいます。
そうすると、自然と早口になってしまい、結果的に、うまく話せずに言葉を噛みまくるのです。
でも、それは場数を踏めばそれなりに慣れるものであり、徐々に話も上手くなっていくと思います。
ですから、若い頃からできるだけいろんなお話をしてみて、たくさんの経験と失敗をしておいた方がいいのです。
これがもしも、ある程度の貫禄が出る年齢(50歳以降)からお坊さんになった人は大変ですよ。
まず、見た目だけで【たくさん修行を積んできた経験豊富なお坊さん】なのだろうと思われてしまうからです。
当然ながら、法話の内容も『勉強になって、ありがたいもの』が聞けるのだろうと施主の方は期待します。
そのような『法話の内容』に対する期待は、お坊さんの年齢が上であればあるほど大きくなることは間違いありません。
うわ~、それってメッチャ怖いですよ、想像しただけでも胃が痛くなりそう。
つまり、若い頃から積極的に法話をしないでいると、年齢を重ねるにつれてどんどんプレッシャーが大きくなっていき、結局は怖くなって話すことをやめてしまいます。
そして、【人前で話をするのがとても苦手】な状態から抜け出せなくなります。
そうなると、そのお坊さんはその先もずっと法話をすることができません。
あなたが見た『法話をしないお坊さん』は、もしかするとこのタイプなのかもしれません。
単なるサボり
特に話をすることが苦手ではなくても法話をしないお坊さんがいます。
それはもうハッキリ言って、
単なるサボり
です。
なぜ法話をサボってしまうのでしょうか?
それは、
法話のネタ作りや勉強が面倒くさいから
です。
ぼく達お坊さんは、【法話のネタ】をある程度の数は用意しています。
しかし、ずっと同じ話ばかりを使い回すわけにもいかないのです。
例えば、お寺の場合ですが、同じお寺の中に親戚同士のお墓がある、ということがあります。
その場合、 A家の法事のときには、親戚であるB家の人たちも参列します。
ということは、A家の法事の時に話した内容は、親戚であるB家の人たちも聞いています。
そして、今度はB家の法事のときに、親戚であるA家の人たちも来ます。
となると、B家の法事のときには『A家のときとは違う内容』を話さなければなりません。
しかも、法事は一回だけではありません。
49日忌の次は一周忌、その翌年は三回忌、というように法事は一つの家で何度も行います。
当然ながら、親戚同士の家ではその都度お互いに参列し合うのです。
このようなケースはたくさんあるので、お坊さんは常に【法話のネタ】を考え続ける必要があります。
【法話のネタ】を考えるためには知識が必要なので、必然的に勉強をし続けなくてはいけません。
何となくお坊さんをしている人にとっては、勉強することが面倒くさくて仕方ありません。
ここで、面倒くさがりのお坊さんは、もっともらしい理由をつけて、法話をすること、そして勉強することをやめてしまうのです。
だから、いつまでたっても法話ができないまま年齢を重ねてしまいます。
でも、お坊さんの中には『他の仕事をしながらお坊さんをしている』という人もいます。
規模の小さなお寺の住職さんは、このような人がほとんどです。
このようなお坊さんは本当に忙しいと思いますので、法話を考える時間がなくても、まぁ仕方ないかなとも思えます。
しかし、他の仕事をしていないお坊さんが法話をしないのは立派な『サボり』です。
法話をサボるお坊さんがいるようなお寺は、次第に信者さんの心が離れていくかもしれません。
今はお寺もツブれてしまう時代です、今後そのようなお寺は淘汰されていくことでしょう。
法話をしてもらう方法

法話をしないお坊さんでも、中には「やっぱり法話をしないとマズいかな?」と思っている人もいます。
というか、サボってるお坊さんはきっとそのように思っているはずです。
そんなお坊さんには『法話をするきっかけ』を与えてあげればいいのです。
あなただって、せっかくの法事でただお経を聞くだけでは物足りないですよね?
あなたの方から少しアクションを起こしてあげるだけで、お坊さんに法話をさせることができるかもしれません。
では、どのようにしてお坊さんに法話をさせるのか?
それは、
法事の申込みの時に「当日はお話を聞いて勉強したい」と言う
ことです。
法事をする前には必ず『法事の申込み』をします。
その時に、
「恥ずかしながら、仏様のこと(仏教や仏事)について知らないことがたくさんあるんです。今回の法事でご住職さんのお話をうかがって、少し勉強させていただきたいと思っています。親戚の者もお話を楽しみにしているみたいなので、よろしくお願いします。」
と言ってみてください。
お坊さんに対して『もちろん何かお話をしてくれるんでしょ?期待をしてますからね。』という意思を先に伝えてしまうのです。
つまり、先手を打っておく、ということですね。
これは法事の申込みの時に言うのがいいですよ。
お坊さんの方からすると、事前に言ってもらえたら法話のネタを考える時間があるので助かります。
それと同時に、法事当日まで時間があるので、『【出来の悪い法話】をするわけにはいかない』という心理が働きます。
このように、『法話をしてくださいね』ということを先に伝えておくことによって、お坊さんに対して法話をするように促すのです。
だから法事をしなくなる

お坊さんは、法事の時には法話をすべきです。
意味のわからないお経を聞いたところで、施主や参列者はそんなものにはほとんど価値を見出しません。
施主や参列者にとって『良い法要だったかどうか』が決まるのは、
良い話が聞けたかどうか
なのです。
だから、法要のたびに良い法話が聞けると思ってもらえれば、故人の供養を続けてくれます。
そして、仏教のことを知ってもらえる機会もそれだけ増えていきます。
本来であれば、それこそが『お坊さんの役目』です。
しかし、その本来の役目を果たさないお坊さんが多いのです。
お経を読んで、それで終わり。
施主や参列者にとっては、それだけじゃ何だか物足りないですし、それが毎回続くようだと、法事をしようという気持ちもだんだんと薄れてしまいます。
お坊さんが本来の役目を果たさない。
だから法事をしなくなる
ということです。
ただでさえ『宗教離れ』が進んでいる日本なのです。
法事をする人が減ってしまうことは、お坊さんにとっては死活問題のはずです。
だから、法話をしないお坊さんに対して「下手でもいいから法話をしろ」と言いたいです。
その方が、お寺と信者さん双方にとって良いことだと思います。
まとめ:法話をするはお坊さんの役目。どんどん法話を要求してください!
法事の時に法話をするのは、お坊さんの役目です。
それをしないお坊さんには、法話をしてもらうようにどんどん要求していきましょう。
お坊さんにはそれに応える義務があると思います。
それは、あなたのためだけではなく、そのお坊さんやお寺にとっても長い目で見れば大事なことなのです。
あなたの手間をおかけしてしまいますが、法話をサボっているお坊さんには手加減無しでガンガン要求してかまいません。
ある意味、あなたがそのお坊さんを【育てて】あげてください。
それでも、特別な理由もないのに何度言っても法話をしてくれない場合、そのお寺との付き合いを考え直してもよいと思います。
やる気のないお坊さんやお寺に対して、お布施をしたいと思う人なんていませんよね?
それに、そのようなお寺が何も変わらずにそのままいくと、近い将来ツブれてしまう可能性が高いと思います。
可能であれば、他のお寺や霊園などにお墓を移し、しっかり供養と法話をしてくれるお坊さんに法事を依頼した方がいいでしょう。
でも、本当はそうなる前に、お坊さん本人が『法話の重要性』に気がついてほしいですけどね。